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タカノフーズのあゆみ

1932年~創業時代~戦中・戦後復興期

タカノフーズの創業者・高野徳三が納豆作りを始めるきっかけとなったのは、味噌と麹を製造販売していた高野家の番頭が千葉・佐原の「おかめ納豆」で修行を終え、のれんを分けてもらい帰ってきたことであった。兄の経営する店を手伝うことに飽きたらず、かねてから自分でも何か事業を起こしたいと考えていた徳三はこれを機に、昭和7年、納豆の製造販売を目的とする「高野商店」を創業し、5年後の昭和12年、高野徳三は、なを夫人と結婚。以後、二人三脚による納豆作りが始まった。納豆作りは軌道に乗り、昭和17年頃には販売店の一個あたりの利幅が同業者を上回る二銭まで伸びるので、「おかめ納豆」を売れば儲かると言われた。また、住み込みの若い衆や手伝いの女性が来るようになり、生産量もかなり増えた。

しかし、時代は破滅的な戦争に向かって一歩一歩進んでいた。昭和18年、戦時経済統制が頂点に達し、戦時国家独占資本主義体制が確立した。納豆作りには欠かせない大豆も、統制の対象となり大変な苦労を強いられることになった。時には、方々のつてを頼って大豆を取り寄せたり、東京からやってくる問屋から物々交換で確保することもあった。更に追い討ちとして、燃料も不足して、練炭やタドンを手作りすることが何年もつづいた。

昭和20年8月15日、ようやく終戦を迎えたが、戦後の混乱の中、大豆は思うように手に入ることが出来ず、需要の減る夏場はアイスキャンディーやジュースの販売を行い季節を乗り切る時代であった。昭和25年6月、朝鮮戦争が勃発。特需ブームによって日本経済は息を吹き返し、昭和31年に「神武景気」を迎えることとなる。その間、昭和26年には大豆も統制解除となり、納豆業界は活気を取り戻し、高野徳三が経営手腕を発揮する時代がようやく訪れたのである。

1932年(昭和7年)~1956年(昭和31年)

  • 創業当時の前かけ
  • 高野徳三
  • 高野なを
  • 「高野商店」時代の本社事務所