1995年~ タカノフーズネットワークの確立と豆腐事業の本格化
バブル崩壊後の日本経済は、大型倒産、企業リストラ、失業者の急増、金融危機に見舞われ、デフレが懸念されるような不況に陥ることとなった。こうした中、当社は、平成7 年から14年にかけて、町田(横浜営業所と多摩営業所を合併、後、横浜と八王子に分離)、京都、小山(栃木県)、静岡、長野に営業所を開設して、ネットワークの充実が更に進展した。
納豆の生産拠点についても平成8年から平成14年には、九州工場(佐賀県神埼市)、水戸第二工場(小美玉市)、岡山工場が相次いで完成した。
従来、西日本における納豆消費量は関東の半分程度で、「納豆はおいしいからではなく、身体に良いから食べる」という人が多かった。しかし、食べ慣れるに従いその美味しさが解るようになり、消費は増加傾向を見せ始めた。このことが、計画よりも早い工場進出の要因となった。
また、平成9年2月、豆腐専用工場として、筑波工場(小美玉市)が完成。これを機に、豆腐事業の本格的な取り組みがなされることとなった。
この間、平成8年5月、水戸本社敷地内に新研究棟・納豆博物館が完成。従来から工場見学の要望は多く、年間4~5千人が来場していたが、納豆博物館開館後は、1 万人程度を記録するようになった。
新商品の発売においては、平成13年4月発売「旨味(うまあじ)」が大ヒットした。納豆の乾燥を防止するためのポリエチレンフィルムを省いた画期的な「落し蓋容器」と、工夫をこらした「昆布たれ」の風味が大きな評判を呼んだ。
豆腐では、平成14年に発売した、無駄なく使える200g×2個入りツインパックが爆発的なヒット商品となった。
1995年(平成7年)~2002年(平成14年)
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- タカノフーズのあゆみ
- ・創業時代~戦中~戦後復興期
- ・個人商店から法人化へ
- ・水戸工場完成と新社長体制による飛躍
- ・企業イメージの刷新
- ・全国に広がる生産販売拠点の確立
- ・タカノフーズネットワークの確立と豆腐事業の本格化
- ・優良企業、品格ある企業を目指して
- ・更なる飛躍へ